池田大作 ハーバード大学での講演 / 人間の 主体的生命の内奥に脈打つ 主客未分化の慈しみの境位
http://www.sokanet.jp/movies/sokuseki_m/jakhcj0000001ds3.html
http://www.sokanet.jp/sokuseki/koen_teigen/koen/02.html
ある時、釈尊がこう問われた。
「生命は尊厳だというけれども、人間だれしも他の生き物を犠牲にして食べなければ生きていけない。いかなる生き物は殺してよく、いかなる生き物は殺してはならないのだろうか」と。
だれもがジレンマに陥りやすい素朴な疑問ですが、これに対する釈尊の答えは「殺す心を殺せばよいのだ」というものであります。
釈尊の答えは、逃げ口上でもなければ、ごまかしでもありません。
「縁起」観に基づく見事なる解答であります。
生命の尊厳という調和ある関係性は、「殺してよい生き物」と「殺してはならない生き物」といった、時に敵対し反目する現象界の表層ではなく、深層にまで求めなければならない。
それは単なる客観的な認識の対象ではなく、「殺す心を殺す」という人間の主体的生命の内奥に脈打つ主客未分化の慈しみの境位であります。
このダイナミック、総合的、内発的な生命の発動は、ベルクソンやホワイトヘッドが指摘しているような、単なる自我の消滅(無我)ではなく、自他の生命が融合しつつ広がりゆく、小我から大我への自我の宇宙大の拡大を志向しているのであります。
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「殺す心を殺す」 という
に 脈打つ
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