いじめ社会を考える
①原宿の路上でのネット生配信の件に関して、お騒がせしております。今回の件は、全て自分が悪かった事で、とても反省しています。ルールを知らなかったとはいえ、許可のないままネット生配信とチケット販売をした事、本当に軽率でした。
— 田村淳 (@atsushilonboo) October 31, 2012
続く…
②また、それ以上に、興奮してしまい自分がルールを守ってないのにも関わらず、警察の方に失礼な態度を取ってしまった事、今思い返しても大人げない行動だったと思います。警官の方、そして、ご迷惑、ご心配かけた皆様、本当に申し訳ございませんでした。
— 田村淳 (@atsushilonboo) October 31, 2012
続く…
③これからは、今回の反省を生かして、より多くの方に楽しんで頂けるネット生配信をして行きたいと思いますので、よろしくお願いします。
— 田村淳 (@atsushilonboo) October 31, 2012
本当に申し訳ございませんでした。
田村淳
①原宿の路上でのネット生配信の件に関して、お騒がせしております。
今回の件は、全て自分が悪かった事で、とても反省しています。
ルールを知らなかったとはいえ、許可のないままネット生配信とチケット販売をした事、本当に軽率でした。
続く…
②また、それ以上に、興奮してしまい自分がルールを守ってないのにも関わらず、
警察の方に失礼な態度を取ってしまった事、今思い返しても大人げない行動だったと思います。
警官の方、そして、ご迷惑、ご心配かけた皆様、本当に申し訳ございませんでした。 続く…
③これからは、今回の反省を生かして、
より多くの方に楽しんで頂けるネット生配信をして行きたいと思いますので、よろしくお願いします。
本当に申し訳ございませんでした。
田村淳
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この問題の本質は、ルール違反云々ではない。
根本的な人格の問題だ。
だから、かなり根深い。
「反省を生かす」なんていう軽い言葉は、虚しく響くだけである。
淳は常日頃から、「俺はドSだからね」と言って、性癖を悪びれることなく公言している。
「S」とは何なんだろう。
人の性格をSとMの2種類に分類して、個人をどちらかに属させようとする風潮があるが・・・、
僕は、自分の短所を罵られたくもないし、他人の短所を罵りたくもない。
威張られたくもないし、威張りたくもない。
支配されたくもないし、支配したくもない。
これが健全な感情なのではないだろうか。
他人を「蔑みたい」「なじりたい」「いじりたい」「虐めたい」「支配したい」・・・・・、
そうなったら、それは病気である。
言い方を変えると、魔性に憑りつかれた姿である。
彼の芸は、バラエティーのフィクションだという言い訳の元で、
他人の欠点を論い、貶め、嘲笑し・・・・・・、快感を得ようとするものだ。
それで有名になり、それで今の地位に成り上がった。
いや、そうしたバラエティーの手法を、一概に否定するつもりはない。
本音を隠した綺麗ごとだけでは笑いは生まれない。
バランス感覚も必要だ。
だが、明らかに後味の悪い時がある。
ちょっとした言い回しの中に悪質さを感じることがある。
それが、まさに、今回の婦警に対する高圧的な態度で露になったものである。
相手の揚げ足を取り、貶め、嘲笑し、優越感に浸りたいだけのように見えた。
支配欲の病魔を見た気がした。
彼はVTRを見て、己の、そうした病魔に気が付いただろうか。
反省というのは、どこまで中身のあるものであろうか。
「大人げない」という言葉は、例えば子供相手に手加減しない時などに使う言葉だ。
なにか、反省の言葉の中にすら、傲慢さを感じてしまうのだが・・・、気のせいだろうか。
「お騒がせ」とか「軽率」とか「興奮」とか「失礼」とか「迷惑」とか「心配」とか・・・・・・、
なにか本質が分かってない気がしてしょうがない。
もし、ほんとうに「反省を生か」そうと思っているのであれば、
「ドSな俺」を顧みることから始めるべきだろう。
騒動に対しての謝罪は要らないから、是非、そうして欲しい。